やさいとせかい

「めぐる八百屋 オガクロ」と「走る八百屋カー オガクロ」のオーガニック クロッシングです。

衆議院議員総選挙に際しておもうこと。

衆議院議員総選挙に先立って政局が混迷を極めています。国会冒頭での解散からはじまり、民進党希望の党への合流から分裂、立憲民主党の立ち上げ、希望の党の政策協定書や各種の発言、安部首相の演説地変更騒動まで・・・。この国の行先がどうなってしまうのか考えない日はありません。

自分たちの暮らしというのは日常の絶え間ない連続性の中にあって、降って湧いたかのように突然現れるものではありません。いま自分たちが暮らしている世界は、良いことも悪いことも含めて過去から絶えることなく続く流れの延長線上にあります。だからいまの日本の状況も自分自身が当事者として受け入れていかなくてはいけないと思います。

 以前、森の集いという取り組みの中で八百屋や農家の友人たちとともに「タネヲマク」という冊子を作りました。その中で四国の木頭という山間の村で暮らす玄番真紀子さんから寄稿していただいた文章が、いまの状況の中で心に響きます。人はいったい何を求め、どこに向かっているのでしょうか。

今回はその文章を引用させていただいて、その中に込められていることを噛み締めながら大切な投票に臨みたいと思います。

 

以下引用

「じいとばあから学ぶこと」玄番真紀子

山の畑に行くまでの坂道、いつも足をとめてうっとり眺めるところがある。そこにはじいとばあ二人が食べるのにちょうどよい量と種類の野菜が、決して広くない土地に、美しく丁寧に植えられている。

じいが少し体を悪くして、主に畑をしているのはばあ1人。足の痛みでゆっくりしか歩けないけれど、毎日必ず畑に出て、山のキビや、芋や、小豆などの在来種の野菜を中心に、山で草を刈っては土に鋤き込み、落ち葉があれば畑に入れて、たくさん汗をかき、昔ながらのやり方で、謙虚に土と向き合い野菜を作っている。

膝をついて一粒一粒種を蒔いているばあの小さい後ろ姿と、季節折々繊細かつダイナミックに変わる畑の風景があまりに美し過ぎて、私はここを通るときいつも涙が出そうになる。こうして何十年も、子のために、孫のために、今は2人が食べるために、種を蒔き、育て、種を採り・・・繰り返し繰り返し、命を繋いできた。耕作地の少ない山間で、小さく循環する畑はあたかも小宇宙のようだ。 

折しも、昨年東京から高知の山間部に居を移し、在来種の種を守る活動を始めたジョン・ムーアさんにお会いした。

「今の私たちは三世代先までの安全な水を飲み干した。地球の長い歴史の中で、人間は自分たちのすべきしごとをまだ見つけていない。」

ジョンさんの言葉には、今を生きる私たちの重い責任と、かすかな一筋の光を感じる。パタゴニア日本支社長をつとめ、世界各国まわっておられるジョンさんがその職を辞し、日本の、しかもじいとばあたちだけが住む山間の集落・高知県の椿山(つばやま)を選んだことの意味を考えたい。 

私たちが本当に守るべきもの、必要なものとはなんだろう。私たちは何を余分に手に入れようとしているのだろう。山のじいとばあの暮らしを見ていると、その中にこれから私たちが進むべき道のヒントと希望があるような気がしてならない。 

「芋植えたか?」とばあに聞かれれば私も芋を植え、ばあが豆を収穫していれば私も豆を収穫する。同じようにしてもうまくいかないときもあり、ベテランでも失敗する年もある。それでも翌年ばあはやっぱり種を蒔き、だから私も種を蒔く。じいとばあのあとを追いながら、果てしない循環と地球の歴史のなかで、人間のほんとうにすべきしごとを時間をかけて見つけていけたらと思う。