やさいとせかい

「めぐる八百屋 オガクロ」と「走る八百屋カー オガクロ」のオーガニック クロッシングです。

身近なやさいに映るせかい②

前回のブログでやさいは食べ物である前に生き物であることを意識してほしい、というお話をしました。今回はその続きです。

その次にお話したかったのは「タネ」と「タネから上の世界と下の世界」のことです。

「なんか難しい話だなー」と感じてしまうかもしれませんが、ここを飛ばしてしまうと「身近なやさいに映るせかい」というのが何なのか伝えきれないのです。

どんなものにでも「はじまりから終わり」までの流れがありそれが循環しています。植物にとってはタネがはじまりであり終わりです。どれほど大きな樹であってもはじまりは一粒のタネです。そして植物はタネを残すために成長していきます。まず今一度認識し直しておくことはとても大切だと思います。

そのこと意識してもらうために、お話会に僕が集めているたくさんのタネを持って行きました。机に並べておくとほとんどの方がやさいのタネを見たことがないとみなさん興味深々。色も、形も、大きさも様々で美しいタネたち。でも人間のエゴによってタネを取り巻く環境は劇的に変わりつつあります。そのお話はまた違う機会にしたいと思いますが、タネに興味をもってもらうことでそのような問題にも能動的にアプローチできると思います。

次は「タネから上の世界と下の世界」のことです。

タネを蒔けば「芽」が出ます。同時に「根」もでます。芽は地面より上の目に見える世界に、根は地面より下の見えない世界に広がっていきます。この植物は地上と地下に同時に広がりながら、そのバランスで成り立っているということも非常に重要です。

人は目に見える世界のことは意識し易いのですが、目に見えない世界のことを意識することは非常に苦手です。だから野菜についても地表から見えている部分についてはいろいろ試行錯誤したり一喜一憂したりするのですが、目に見えない部分についてはほったらかしということも少なくありません。また目に見える部分だけを良くしようと様々な手を加えます。その延長線上に農薬や化学肥料、遺伝子組み換え作物などがあり、また先に進めていけばA.I.などもその延長線上にあると僕は考えています。

僕はあらゆるものは「流れと循環」の中で柔軟に捉えられるべきたと思っています。

極度に分業化が進んだ現代では、あるものの過程の一部分だけを取り上げたり、部分だけを見て全体の流れを見ないという癖がついてしまっているように思います。また目に見える世界を重視する風潮も現代社会が生み出した厄介な癖のひとつだと思います。

前回お話した「野菜に花って咲くんかー?」という疑問や、野菜の味や個性よりも見た目を極端に求めてしまうこともこの癖がついてしまった時代の象徴のように思います。そしてすこし乱暴な言い方かもしれませんが、現代における社会問題のほどんどが、このような癖に端を発しているのではないか?と僕は考えています。植物学者の中尾佐助さんは著書「栽培植物と農耕の起源」の中でこう述べられています。

「根を忘れて花だけを見ている文化観は根なし草に等しい。」

このブログのタイトルが「やさい”と”せかい」であることの理由はここに端を発しています。また「流域みそのたね」に象徴される川の流れに沿って食の自給圏を構築しようとする活動は流れや循環を忘れて拡大していく現代消費社会への問題提起です。

 

大切なのは想像力だと思います。野菜や花だけではなくタネや根を、地上に見える世界だけではなく地下の見えない世界のことを想像し、流れと循環の中でそのものを捉えなおすことをしていくこと。それは人の未来への希望のひとつでもあるのではないでしょうか。

身近なやさいはせかいを映しています。